ラウンドマナスル(マナスルBC・ラルキャラを越えて)
2010/11/08-11/28

 マナスルは1956年槇有恒を隊長とする日本隊が8000m峰を初登頂した山である。今回はこのキャラバンルートをたどり、BCを訪ね、ラルキャラ5235mを越えてラウンドアンナプルナの出発点ベシサールに至るトレッキングである。以前よりも入山規制が緩和されているので、トレッカーの数も増えて来ているようだが日本人はまだ少ない。ロッジなどの設備は充分とはいえないが、山間部の人々との出会いやマナスルの美しい姿を間近で見ることが出来ること、5000mを越える峠越えなど変化にとんだトレッキングを楽しむことができる。

11/08 カトマンドゥ→アルガートバザール(530m) :車7時間
 メンバー3名、ガイド1名、ポーター、コック4名計8名。全テント泊、食糧現地調達、ネパール定食(ダルバート)。ゴルカを出発地とするプランが多いが、車をチャーターして(Rs20000)アルガートまで入る(2日短縮できる)。カトマンズーポカラのハイウエイをトリスリに向かい、マリフで軽い朝食、ターリベシで昼食、アルガートバザール14:45到着。ロッジの庭でテントを張る。ランプチャージRs50、トイレチャージRs80、テントチャージRs150、キッチンチャージRs350。ランプチャージ、トイレチャージを取られるのは初めてだ。
 
11/09 アルガートバザール〜ソティコーラ(620m) :徒歩7時間
 吊り橋を渡って右岸へ、村を出るところにチェックポスト。大きなマンゴツリーが立ち並ぶ広い道をゆっくりと上流に歩いていく。バナナ、パパイヤ、パイナップル、なし・・果物の木が多い。ヨーロピアンのグループが何組か先を歩いている。皆急ぐ様子はない。谷奥にスリンギヒマールが見える。ザムネでキッチンを借りて昼食を作る。お米を炊き、ダルスープとタルカリを作り、食べて、かたずけると1時間半はかかる。その間我々は昼休みになる。ロテピン(人力観覧車)があったのでガイド、ポーターも乗せて遊んだがうまく回転しなかった。
11/10 ソティコーラ〜マチャコーラ(850m) :徒歩8時間
 6時起床。朝霧がかかりすがすがしい。ここから先は車が入らない。人とロバの道になる。いずれ奥へ奥へ車道が延びるだろう。アルマラの集落を過ぎて、コルサニーバレー(トウガラシの谷)、細く切り立った渓谷になる。高捲きのアップダウンを繰り返し開けた段々畑の景色に変わった。大きなサボテンが道の両脇にある。ラプベシで昼食。水量豊富な滝が流れ落ちる。谷が広がり、その河原まで下りる。ナウリコーラ、シート張りのバッティーが2軒、どのグループもここで一休み。河原沿いの冬道を一登りするとマチャコーラに着く。
11/11 マチャコーラ〜ドバン(990m) :徒歩6時間30分
 川で魚を採っている少年に声をかけると急坂を駆け上がってきてアサラという魚を売ってくれた。マチャ(魚)コーラ(川)だから特に魚が多いところなのだろう。コーラベシに上がるとローカルコーヒーの看板が出ていた。庭には赤い実がなっている。早速たててもらう。トルココーヒーのように少しドロッとしているが香り良いコーヒーだった。(Rs50)次は楽しみにしていたタトパニ(温泉)だ。村の入り口に水場があって、一口は暑いお湯(50℃くらい)、もう一口は温めのお湯が出ている。頭や体を洗った。
昼食はアサラのカレーだった。吊り橋を渡りドバンへ、庭に鶏が沢山いた。夕飯には唐揚げになっていた。(Rs1300)
11/12 ドバン〜セティパス(1420m) :徒歩7時間
 コックも慣れてきたのか準備が早くなり、朝食は6時30分になった。1時間歩いてトーロドゥンガ(大きい石)直径30〜40mくらいに石が川から立っている。石の頭にバッティが2軒。茹でたサツマイモがあったので皆で食べる。(一本Rs3)マナスル自然保護地域に入る。ジャガットは石畳の綺麗な通りだ。チェックポストがある。今年の入山者は今日現在2100人とのこと。少ない。ここから先は一般のトレッキングパーミットでは入域が出来ない。日が当らず寒い。ダウンの中間着を着る。セティパスでテントを張る。
11/13 セティパス〜ペワ(1800mくらい) :徒歩8時間
 夜は星空だったが曇天、山は見えない。女衆が集まってきて石畳の掃除を始めた。毎土曜日(ネパールの休みの日)に行うそうだ。30分程で再びチェックポスト、OKが出ないとこの先の吊り橋が渡れない。左岸に渡るとフリム。道端で豆(シミダル)をむいていたいたので分けてもらう。ダルスープになる。エクラバッティは一軒家の意味だが5軒ほどかたまっていた。東にガーネッシュBC、ツムバレーのトレッキングルートがある。松の林と地面を覆う笹の緑が美しい。対岸の高いところに道がついている。昔はそこを通ったらしい。とするとマナスル遠征隊もあのあたりを歩いたのだろうか。ダンの予定だったが、テントサイトがあまりないので手前のペワでボツにする。
11/14 ペワ〜ガップ(2095m) :徒歩8時間
 曇天。ダンに入ってツーチェカレラ(瓜の仲間)がなっていたので、ガイドのラクパがもぎ取って3kg程分けてもらう。炒め物がおいしい。古いカンニ、チョルテン、マニ、ルンタが多くなる。チベット的色彩が濃くなる。この辺りには昔チベットから移住してきて今はグルン語を話すというカンバ族がいるらしい。衣裳も独特だ。そのためか子供にネパール語で話しかけても話が弾まない。吊り橋を渡って急な登りを上るとラナ。ビーフェディで昼食、マカルーのトレッキングいらい2年ぶりにツーチェカレラのタルカリを食べた。マニ石には仏の姿が彫られているものが多い。印の形が色々ある。ガップのキムランロッジにテントを張る。
11/15 ガップ〜ナムルー(2630m) :徒歩2時間30分
 苔むした太いヒマラヤ杉の樹林帯に入る。ラングール(尾長ざるの仲間)が群れをなして姿を見せている。ガイドのラクパが天然のキノコを採ってくる。ひらたけの種類だろう。昼食には炒め物で出てきた。午後は休養とする。
11/16 ナムルー〜ロー(3150m) :徒歩4時間
 村はずれにチェックポストがある。道は下りしばらく行くと草原が広がり、ヤクが放牧されている。前方にはヒマルチュリの頭が、振り返ればガーネッシュ1峰が見えるはずだが雲の中に隠れている。カンニの向こう側にヒマール(雪の山)が見える。リーに着いた。子供たちが日向ぼっこをしている。学校の裏をくだるとヒーナンコーラ、ヒウンチェリに入る看板がある。川を渡って上ると次のカンニがあって、ショーに入る。
 
 ショーの村を進むと待望のマナスルの山々、ナイケピーク、マナスル北峰、そしてマナスルがそのピークから少しずつ姿を大きくしていく。鳥肌が立つ思いがした。歩き始めて9日目だ。カンニやマニの続く道を行けばローの村に着く。畑が広がり石造りの家々が立ち並び大きな部落だ。マナスルは中腹まで姿を現し美しい。マナスルを光背とするように小高い丘の上にゴンバがある。きらびやかなチョルテンの近くでテントを張る。ゴンバまで散歩、立派な本堂があり、小坊主達が大勢いる。
11/17 ロー〜サマガオン(3500m) :徒歩4時間
 6時少し過ぎ、マナスルは朝日を受けて赤く染まる。神々しい景色だ。チベットの旗が風に揺れている。カンニやメンダンの続く道をマナスルを仰ぎながらのんびりと歩いていく。ダナモンコーラに下り、林に入る。谷の奥にP29(ナディチュリ)が大きな山容を見せる。シェラ(3504m)に入ると突然視界が開けてパノラマが広がる。ヒウンチェリ、P29、マナスル、マナスルN、ナイケピーク、チベット国境の山々・・しばらくは立ち止まって写真を撮るのも忘れた。ホンサンホゴンバへ行く予定だったが、サマガオンへ直行することになった。
11/18 サマガオン〜フォーレストBC(3780m) :徒歩1時間
 サマガオンに2泊する予定であったが、今はフォーレストBCと呼ばれている日本隊が初登頂の時に利用したBCに移動することにする。現在マナスル登山に使うBCはさらに上部のマナスル氷河の左岸に張り出した小さな尾根上(4800m)にある。天気が下り坂とみて、他のパーティーは次のソムドゥに急ぐか停滞する。川沿いに20分ほど歩き、BC方面に分かれる。ヤクの放牧地になっているのだろう石積の壁が延びている。ナイケピークから落ちる氷河の末端に草地の広がる場所がある。遠征隊が54年前テントを張っていた同じ場所に立っていると思うと感慨が深い。雪が降り始めた。
11/19 フォーレストBC〜マナスルBC手前(4200m)〜フォーレストBC
 雪がテントをたたく。が夜中には星が出ていた。日の出前に近くの丘に上がってマナスルが赤く燃えるのを待つ。頂上付近は雲が・・雲の中で頂上の一点が赤く染まると一段と雲の動きが激しくなり、火のように燃え上がった。10分間のドラマだった。
マナスル氷河左岸のBCに出掛ける。尾根に取り付いて樹林帯を抜け草地をジグザグに登っていく。雲が広がりマナスルを隠してしまった。4200m付近で諦め、石を積みカタをかけて引き返す。BCに戻ると暖かいのでポーター立ちは草地で昼寝をしている。
11/20 フォーレストBC〜ビレンドラレーク〜ソムドゥ(3900m) :徒歩3時間30分
 まだ暗いうちからカメラをセットして日の出を待つ。今日は雲もなく快晴。ヒマラヤンブルーの空にマナスルのピークが切り裂くようにシャープだ。手前の鋭角はピナクル、奥の白いピークがマナスル主峰。呼吸を止めてシャッターを押し続けた。目の奥にもしっかりと画像を焼き付ける。何と幸せな時間だろう。
 BCからの帰路につく。ビレンドラレーク(マナスル氷河の末端の氷河湖)に倒影するマナスルを是非見たかったので、トレイルを外れて湖目指して道なき坂をヤクのように下った。湖畔に立つ。何とマナスルの全容が水面に映っている。少し風があり波があるのが残念だが。時々氷河が崩れて湖に落ちる。それ以外は全く音がない静かな世界だ。地球の懐に抱かれているような安らかな気分だ。ラウンドマナスルのトレイルに戻り、ケルモカルカからマナスルを振り返る。良い姿だ。振り返るたびにマナスルは小さくなり頂上を残しやがて消えた。さあ、次はラルチャラ越えだ。長いメンダンやカンニをくぐり最奥の常住村ソムドゥに着く。
11/21 ソムドゥ〜ダムマサラ(4450m) :徒歩3時間
 気温は零下、快晴、風が冷たい。村から緩やかな道を下りアルガートバザールから上流を目指したブリガンダキの源流部を渡る。ラルキャ氷河の脇をだらだらと登りの道が続いている。氷河の奥にはヒマラヤ襞の美しいマナスル北峰が座り、マナスルの主峰へとつながっている。昼前にダルマサラに到着。驚いたことに石造りの小屋が4棟、このルート最大の宿泊施設だ。キッチン、ダイニング、ゲストルームを備えている。我々はテントは最上段に張られていた。夕方近くの丘を上った。フランスのグループが三々五々登っている。声を掛け合って登るうちに4700mまで上がってしまった。マナスルが良く見えた。そのうちの一人がマナスルは日本人がファーストサミッターですねと言ってくれた。
11/22 ダムマサラ〜ラルキャラ(5135m)〜ビムタン(3750m) :徒歩9時間
 眠れず3時になった。−6℃、4時前には出発。他のパーティーも次々と出発する。草付きの道を少し行き、氷河のモレーン上を登っていくと氷河湖があるが結氷している。満月の光が雲間からさし、ぼんやりした雪明りの中を歩く。山は暗くて見えない。日の出を迎えるが雲が厚い。小さな石室がある。寒いので立ち止まらずに歩く。緩やかだが長い登りが続く。ところどころにルートを示す標識ポールが立っているがなかなか近づかない。標高5000mの歩行はそう簡単ではない。すっかり明るくなり、暖かくなった8時頃峠に到達した。五色のルンタが迎えてくれた。カタを奉納する。
 下りは一転急な坂が待っていた。数日前に降った雪が日陰では凍っていて足を滑らせた。が、白馬暮らしの我々には雪道は楽しい。雪道が終わると細かい砂利がひきつめられた急坂になり、ビブラムの靴底で車石になってバランスを崩す。足元に神経がいって景色を眺める余裕もない。前方にはネムジュン(7140m)、ギャジカン(7038m)、テリジェピーク(6532m)、カングル(6981m)の山々が広がっている。U氏が体調を崩した。ダムマサラの水はあまり良くないので水あたりではないかとガイドはいう。煮沸、ろ過をして使っていた。高山病ではなさそうだ。広々とした草原のビムタンに着いた。遅い昼食はヌードルスープ。マナスルがすっかり姿を変えた西壁を見せている。マナスルのラウンドが出来た。
11/23 ビムタン〜スーキコーラ(2700m) :徒歩4時間
 朝、テントをたたく音、また雪だ。食事中に激しくなり一面真白くなる。慌てて下山。ドゥートコーラの木橋を渡り登り返すと雲間にマナスルか。樹林帯に入りやっと雪から逃れられた。大きな岩室のあるハンプク当たりは岩も木も道も苔むしていて心が落ち着く。ヤクカルカでバッティーがあり、ドゥトチャ(Rs.50)。川沿いに下ると200m位にわたり崩落している箇所があった。鉄製の橋を渡り左岸に出るとバッティーがある。昼食の予定だったが、U氏の調子も良くなかったのでここでボツ。
バッティーには三姉妹がいて、ポーター達も大喜びだ。
11/24 スーキコーラ〜ダラパニ(1860m) :徒歩7時間
 ポーター達は三姉妹と飲み過ぎたのか起きてこない。先に出発。多少アップダウンがあるがペース良く下る。U氏は2本目から空身。ゴアに入ると畑が広がり、家々が点々とあり、山歩きは終わった感じになる。テリジェで昼食。暖かい日射しを受けて昼寝がしたくなる。二日酔いのポーター達は本当に寝ていた。吊り橋を渡り左岸にでると道も広がりダラパニに出る。アンナプルナのラウンドで2回歩いているがあまり記憶にない。ロッジの庭を借りてテントを張る。
11/25 ダラパニ〜タール(1710m) :徒歩3時間30分
 ロッジが立ち並ぶ街に下りてきた。一晩中犬がうるさく吠えていた。隣がチェックポストだった。U氏更に調子が悪化した。道路は工事中のところが多く歩きずらかったが、休憩が増えた。やっとタールに着き、今日はロッジの部屋に入った。近くに診療所があって幸い医者がいた。サウジー(ロッジの主人)が連れて来てくれて診察をし、薬を処方してくれた。医療は国の仕事で無料だった。
11/26 タール〜チャムチェ(1430m) :徒歩3時間30分
 停滞の予定を変更し、ゆっくり下れるところまで行くことにした。小さなアップダウンが続き歩きずらい。サッタレのロッジでついにダウン。荷物を運び終えたポーターが戻ってきて、しばらく背負われて下る。チャムチェのロッジに入る。夕食にツゥクパ(野菜が入ったすいとんのようなもの)を作るが食べられず。困っていたころ、鶏を運んできたトラックが明日空でベシサールに帰るのでRs.4000で乗せてくれるという。
11/27 チャムチェ〜ベシサール(760m) :車4時間
 U氏はフロント席に、我々とガイド、ポーターは荷物と一緒で鉄骨でカバーが出来ている荷台に乗りこむ。身動きが取れないのに車が揺れるたびに荷物の間にはまっていく。道路は勿論でこぼこであっちにぶつかり、こっちにぶつかりする。
シャンゲからはローカルバスも走っていた。以前の道とは違っていて直接ベシサールの街に入った。車を降りる時には料金はRs.6000になっていた。
11/28 ベシサール〜カトマンドゥ :車6時間
 昨夜のうちにLPラクパがハイエースをチャーターして迎えに来ていた。乗り心地の良い車で、ほとんどカトマンドゥに着くまで寝ていた。2時にはホテルにもどる。U氏は病院へ(CIWEC CLINIC)。検査の結果、急性胃潰瘍の疑いで3日間点滴を続け元気を取り戻し、巻きずしや天ぷらうどんまで食べられるようになった。無事日本に帰国。
現在元気にスキー三昧の日々を送っている。
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